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01 - C202SA が返ってきた

c202sa

© ASUSTeK Inc.


「おかえ…」

知人から返却された C202SA の姿に私は絶句した。べとつき、文字のえぐれたキートップ。ささくれができ、摩擦熱で色ムラのできた青いラバーコート。紙やすりでこすったかのような天板とパームレスト。極めつけに線の入った液晶。

『あの…』「何があったの?」

喧嘩の武器にでも使ったのか、そう思えるほどに損傷していた。 C202SA と最後の 2 年間 で出会ってから、まだ数ヶ月。にもかかわらず、その姿は私の持つどのコンピュータよりもボロボロになってしまった。

『いえ…その…』「怒らないから言ってみて」

あふれる感情を抑え、水風船のようにパンパンにふくれた私の顔。 C202SA はどう言い繕えばよいのか迷う。いや、私には正直に言うのが一番だ。

『かなり喜んでいただいて、色んなところに連れて行ってもらいました…』

「このガシガシこすったところは何?」

私が天板の左下を指す。点々と色がつき、熱で素材とまざりあっている。

『お孫さんがシールを貼りまして…』

C202SA が申し訳なさそうに言う。私はピンときた。チューイングキャンディなどの包装紙についているシールだ。剥がし方を間違えたのだろう。

「はぁ…」

私は顔を覆って大きくため息をつく。そのまま長い間何もしゃべれなかった。


私が C202SA を貸し出した相手は、髪が真っ白になっても世界中を飛び回る現役ビジネスマンだった。彼に会ったとき『新しいパソコンのかたち』と誇張して Chromebook のことを伝えると、コンピュータに疎い彼、昔オアシスというワープロを使っていたそうだが、は興味を持ったので、私は Chromebook 布教の機会がやってきたと思い、セットアップを手伝って、手製のマニュアルと一緒に渡した。

「もうすぐサポートも切れるから、使い倒すつもりで使ってみてください」という言葉とともに。

そして彼は私の言葉を忠実に実行した。忠実に実行してしまった。

二週間とちょっと、彼は私の大切な相棒を持って何ヶ国も周り、爪を立ててキーボードを削るように打ち、幾度も落とし、孫とのキャンプで泥まみれにした。一応、返却前に掃除してくれたのはいいが、戻ってきた相棒はハードオフのジャンク品のように変わり果ててしまった。

自業自得。身から出たサビ。様々なことわざが頭をよぎる。

待て待て。人から借りた物をこれほど痛めつけるなんて正気か? 私は甘く見られているんだろうか。SNS で晒せば絶対バズるやつだ。いや、そんなことをして心を汚してはいけない。

天使と悪魔が心のなかで格闘し、死闘の果てに生き残ったのは天使だった。本当に天使かそいつ?私に損しかないんですけど。とにかく、還暦を過ぎても世界と戦っているパワフルなオトナは、これくらい過酷なスケジュールをこなしているのだ。そう言い聞かせることにした。でもいくらなんでもこれはないよ。

弁償してもらおうか。それなら天使も文句あるまい。でも残り一年半しか使えないものを弁償してもらってもな。それに私の相棒をそう簡単に見捨てられるものか。全く同じ機種でも、そこに宿る魂は違うのだ。

「あの人、使ってみてどう思ったのかな」C202SA の魂は伝わったのだろうか。ようやく私は口を開くと、彼にメールで感想をたずねた。

返事はすぐに来た。孫がパソコンに興味を持ったのがよほど嬉しかったのか、自分と孫のために買いたいと言う。文面から伝わってくる喜びに私はニヤニヤしてしまった。

うひひ。そうそう、そうでしょうそうでしょう。これよこれ。

セットアップを手伝ったりわざわざ説明書を手作りしたのも、喜んでほしいからだ。あと『使えねー』と思われないように。そう思われたら悲しいので。でも苦労が報われて嬉しかった。

これをやりがい搾取という。

私は無償サポートをさせられるのだけはイヤだったので、一応 自動更新ポリシー に気をつけることと、子供用なら C204MA が丈夫でいいんじゃないか等、いくつか候補を出して赤坂の ASUS ストアを紹介した。


後日、Chromebook で撮った写真が送られてきた。さすが、柔軟な人は進歩が速い。どれを買ったのかたずねると、私が挙げた候補全部と言った。それで試して自分に合うものを使うという。

はーあ。

これが富豪の金の使い方か。迷ったら全部買えだ。きっとこいつは Android と iPhone どっちを買えばいいのか迷うようなやつじゃない。

8 万円の C434TA とかも一ヶ月で砂まみれの傷まみれにするのだろうか。そんなに金持ちなら 2 万円で私に新品の C202SA を買ってくれないでしょうか。もしくは C204MA でも構いませんのよ。

彼はおそらく買ってくれるだろう。そして私は今のボロボロになった C202SA をお蔵入りにする。

「…」

私は消しゴムで液晶の傷を直した C202SA に向かい合ったまま考えた。

『…?』

目の前で私を見つめる健気な C202SA。

ぬをー。

だめだ。絶対にだめだ。新しいマシンが来たら絶対にこの子を使わなくなってしまう。私は決めたのだ。こいつをサポート期限までに使い潰して壊すと。見た目だけならもう壊れているけどね。

とうとう私はおねだりすることはなかった。タダ働き履歴に新たな行が加わってしまった。



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