02 - あと一歩で地獄
『…』
沈黙する C202SA。本気で怒っているのがビリビリと伝わってきて、私は目をそらしたまま縮こまっている。
C202SA が貸し出されていたわずかな間に私はすっかり 変貌 してしまった。野球・政治・宗教にハマったらおしまいだとあれほど言っていたのに。何の生産性もなく時間だけを空費するものに手を出したらダメだと何度も言っていたのに。前にも「インドに旅行したい」という私を『これは遠くへ旅に出たいパターンに違いない』と読んだ C202SA は必死になって止めたのだ。
しくじった。C202SA は世界を回れる嬉しさに気が向いて、私を一人にしておくことがどれほど危険か、つい忘れてしまった。その後ろめたさが、余計にイライラを生んでいる。
『ぼくがいない間、先輩はあなたを見てなかったんですか?』
「 PrimeOS に入れ替えようと思ったら USB メモリがなかったから静養してます」
先輩とは私の大切なアシスタント、EeePC のことだ。暴走する私をなだめ、時には励ます頼もしいヤツ。私の環境が変わったのもあって、思うように使ってあげられない時期が続いている。ごめんね。
『USB メモリがないって、買いに行けばいいじゃないですか』
「休憩時間にわざわざ買いに出るくらいなら寝たい」
『あー…忙しいんですか。じゃあ注文すればいいのでは』
「Amazon で?」
『Amazon でも楽天でも何でもいいですよ』
「届けてくれる時間に家にいないから無理だよ」
『コンビニ受け取りにすればいいじゃないですか』
「えー…やったことないからやだ」
『はい?』
「やったことないからやだ」
『全然難しくないですよ、やり方ネットで見せましょうか?』
「いい。ただでさえコンビニ店員大変なのに、夜中にそんな儲けにもならないことやらされるのはかわいそう」
『もう、面倒くさいならそうと言えばいいじゃないですか』
ひたすら言い逃れをする私に、 C202SA があきれたように言った。言いやがったなこいつ。
「どうしてそんなに口が悪くなっちゃったんだろうね君は。会って半年も経ってないのにさ。最初は『ぼくを買ってくれてありがとう!』なんてフレッシュなこと言ってたのに」
『さあ?誰のせいでしょうね』
「誰のせいって、私のせいって言いたいならはっきり言いなよ」
『それじゃあ言わせてもらいますけど、何度目覚まし鳴らしても起きないし、それをいつもぼくのせいにされたり、しょちゅうぼくを置き忘れそうになったり、そんなだらしないのがいつまでも直らないならぼくだってきつい言い方になりますよ』
「だからってそんな小姑みたいなお小言いっつも言われたらね、こっちだって聞く気が失せるんだよ」
『あなたのためじゃないですか』
「あー、嘘だわ。ぜったい嘘だわ。私のダメなところが気になってちょっかい出したいだけでしょ」
『そんなほんとの姑さんみたいなことはしません』
「してるじゃんいつもドヤ顔で言ってさ。こっちだって好きでぼんやりしてるんじゃないんだよ」
『ぼくに顔はありません』
「伝わってくるんだよドヤァって表情がさ。もう言っても直らないんだからいちいち指摘しないでよ。イライラする」
『放っておいたら今回みたいになっちゃうじゃないですか。言わないとどんどんダメになっちゃうから言ってるんです』
「そういうこと言われるからますますやりたくなくなるんだよ、逆効果だってわかってんの?」
『あなたがどう思おうと知りませんけど、今回のことがあったので、もうぼくはあなたを黙って見守るなんて危険なことはできません』
「黙ってられないって、誰の権限でそんなこと言えんの?何様のつもり?親でもないのに余計なことばっか言ってめんどくさいなあ」
『じゃあ早くそんな子供みたいな性格を直してくださいよ』
子供みたいだぁ?嫌なことをチクチクチクチク言いやがって。何でたかが機械にこんな人格否定されなきゃいけないんだ。
「こんなことなら」
こんなことなら、ボロボロで返ってきたときに君なんか捨てて新しいのを買ってもらえばよかったよ。
「…」
ぽろぽろと涙がこぼれ始めた。何事かと慌てる C202SA をよそに、そばに置いてあったタオルを取って顔を覆う。紙一重でかわした破滅と、自分自身に隠れていた闇に、私は驚きと安堵と悲しみと怒りと惨めさを感じていた。
君なんか捨てればよかったよ。
それをもし声にしていたら、どれほど C202SA は傷ついただろう。想像するだけでまた涙があふれてしまった。今までのように冗談を言い合うことなんて絶対にできなくなってしまう。本当に、本当にあと一歩で私は、一人と一台の関係を完全に壊してしまうところだった。
「…はー」
ひくひくと声をすすりながら泣き続ける私。そんな残酷な呪文を平然と思いつき、そして言いそうになった自分が怖かった。あの選挙で、その後で、憎しみのあまり聖人君子が豹変する様子を私はいくらでも見てきたではないか。彼らは呪文から身を守る方法は知っている。けれども自分が放つのをどうやって止めるか知らなかった。だから多くの人を傷つけた。憎しみに心がパチンとやられたとき、破滅はすぐ横に立っている。
『あ、あの…言い過ぎました、よね。ごめんなさい。泣かないで』
どうしていいかわからず、オロオロする C202SA。そんな様子がかわいくて、私は顔を隠したまま思わず笑ってしまった。
タオルの横からこっそり目をのぞかせ、手を震わせるふりをしてタッチパッドに触れた。砂で削れたのか表面はざらついている。よくぞ二週間ちょっとでここまでボロボロにしたものだ。やはり在庫があるうちに新品を買って、基盤だけ入れ替えて以前の輝きを取り戻してあげよう。教育用に作られた C202SA は分解しやすいから、私でも交換できるはずだ。
おっと。
その前にやらなきゃいけないことがある。私は顔をぬぐって鼻をすすると、C202SA の画面に YouTube を表示した。
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