18 - うらみ
「まっず」
冷蔵庫のなかで一度凍ってしまった豆腐。とけて旨味の抜けたそれは、もはや冷奴として食べられないほどまずかった。炒めものにすればよかった。でも醤油をかけてしまったので、仕方なく私は渋い顔で口を動かす。
「なーんかさ」おもむろに私が C202SA に話しかける。「その道のプロでも、道を少し外れたら、私みたいな素人と知ってることあんま変わらないんだなって思った」
本当にキミ野球が好きなの?
じゃ聞くがロッテのスターティングメンバーを全員言えるか? ―― 八神和彦
『それ最近よく言ってますよね』C202SA が相づちをうつ。
「うん。子どもの貧困が…ちょっと、何考えてんの」
『いえ…』
「う○こじゃないよ」
『あはは』
「笑わないでよ、こっちは真剣なのに」
『すみません…ふふ、真面目なのが逆に面白くて』
「はぁ…」
気が抜けてしまった。コントかよ。
『すみません、何でしたっけ』
「いいよもう」
『言わないとモヤモヤしちゃいますよ』
「君のせいじゃん」
『すみません、聞かせてくれませんか?』
「…子どもの貧困調べてる人が、解決するには消費増税だって言ったり、政治評論してる人が、格差是正には内部留保への課税だって言ったり、なんかエサの奪い合いしてるみたいでどんよりしちゃったって言いたかったの」
子どもの貧困を解決するには社会保障の充実が不可欠だ、けれども日本の借金はこれ以上増やせない、とはいえ一部の人に税負担をかけると反発が起きる、そんなわけで公平な税である消費税を上げよう ―― そんな感じ。
『でも消費税ってお金ない人に負担がかかるって、あなた言ってましたよね』
「あと法人税と引き換えに上げられてるのも知らないかもしれない」
『言ったらどうなりますかね』
「わかんない」
私は醤油の味しかしないパサパサの白塊をようやく完食しすると、思わず口元を隠してゲフっと息を吐いた。胃も「まっず」と訴えているのかヒクヒクと痙攣する。
「…」
その不快感がするすると記憶の糸を引き上げた。人に話を聞くなかで、こんなエピソードもあった。れいわの政策を説明したとき、法人税の話を切り出したとたん、激昂した経営者がいた。私は純粋に評価を聞きたかっただけなのに、まるで私を敵のようにボロクソに言って本当に怖かった。大企業を優遇するなとはいうが、企業は連なっている、市民だって企業の一員だ、そこに負担を強いるのか、政治家は票をとれるやつのために働く、企業と年寄りは票が集まる、だから企業や年寄りのために政治をする、若い奴らはなんだかんだ文句を言って投票にも行かないだろう ――
「…」
取ったメモをまとめようとする私の手が止まる。人の憎しみを読み直すのがつらい。キーボードの前で目を閉じる私の表情を、 C202SA はじっと見守っている。
「…昔、漢文の先生が言ってたんだけどさ」私がうっすらまぶたを開いて言う。
『はい』
「漢文の著者が書き残したかったのは『恨 (うらみ)』なんだってさ」
『…はい』
「司馬遷がち○こ切られても執念で『史記』を完成させたり」
『ちょっと、その言い方』
「だって本当だもん。あと孫ピンが両足斬られてから『兵法』書いたり、白居易の『長恨歌』なんてタイトルまんまだし」
『壮絶ですね…』
「感情が爆発したときの、その人の本音、背後にあるもの、それを探し出して残すのが今の私の使命なんだ」
なぜ企業が投資に回さずひたすら貯め込むのか。貯めるのが目的になっている企業もたしかにあるかもしれない。ただ、ぽろっと一人が言った「もう不景気で銀行なんか誰も借りに行かん」との言葉にピンときた。
銀行への不信だ。バブル崩壊後に起きた貸し渋り・貸し剥がしへの『恨み』や無念が、銀行に頼らず株式や社債、資産でまかなう企業体系を構築した。もうあんなえげつない獣には頼らない。投資家が気前よく買ってくれれば、銀行に平身低頭する必要も、強引な取り立てを受けて倒産することもないのだから。政府も法人税減税や配当金への課税を抑えるなど後押しして、ようやく軌道にのれている。それに内部留保は苦境な時期を乗り越えるための虎の子だ。だからそこに手をつけようとするやつは誰であろうと文字通り潰す。
「って思ったんだけどどう?」
『なんか、悲しい話ですね。誰にも頼れないのは企業も同じなんでしょうか』
「誰にも弱音を吐けないから、心の余裕もなくなっちゃう」
『どうすればいいんでしょう』
「私みたいにサンドバッグになってくれる人がいればいいのかな」
『…あまり健全じゃないですね』
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